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【沿革】
当寺は往昔、真宗興正寺(現・真宗興正派本山)末寺として、三河国幡豆郡西尾村(現在の愛知県西尾市)において天童山(三河山・歓喜山ともある)善立寺と号していたが、その発祥地を近江国長原荘(現在の滋賀県湖東地方)とし、創建年、開基は詳らかではない。天正時代初期(1573〜1592)、住職・長原長傳は、浪花石山本願寺の合戦に門信徒を従えて参戦し赫々たる武勲をたて、紀州鷺之森事件にも随行して法門護持に尽力し、本山より重なる恩賞に浴している。その後、慶長7年(1602)年本願寺が東西に分かれた頃三河に帰国しているが、織田信長による門徒追放によって三河の地を追われ、宗祖・親鸞聖人の旧蹟を尋ねつつ遍歴の旅を続けた後、善光寺を目指して信濃路に入った。元和年間か寛永初期(1615〜1624)と推測される。
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