浄土真宗本願寺派 天龍山善立寺
 宗派名 浄土真宗本願寺派(西本願寺) 善立寺写真
 本 尊 阿弥陀如来
 寺 号 天龍山善立寺
 住 職 長原真了(第十五世)
 在 所 本院…長野市大字南長野西後町1652番地   地図はこちら
分院…長野市大字平林字北沖603−9番地  (平成17年1月1日現在)
【沿革】
 当寺は往昔、真宗興正寺(現・真宗興正派本山)末寺として、三河国幡豆郡西尾村(現在の愛知県西尾市)において天童山(三河山・歓喜山ともある)善立寺と号していたが、その発祥地を近江国長原荘(現在の滋賀県湖東地方)とし、創建年、開基は詳らかではない。天正時代初期(1573〜1592)、住職・長原長傳は、浪花石山本願寺の合戦に門信徒を従えて参戦し赫々たる武勲をたて、紀州鷺之森事件にも随行して法門護持に尽力し、本山より重なる恩賞に浴している。その後、慶長7年(1602)年本願寺が東西に分かれた頃三河に帰国しているが、織田信長による門徒追放によって三河の地を追われ、宗祖・親鸞聖人の旧蹟を尋ねつつ遍歴の旅を続けた後、善光寺を目指して信濃路に入った。元和年間か寛永初期(1615〜1624)と推測される。

寛永10年(1634)7月、信濃国水内郡妻科村の正法寺(現・本願寺長野別院の前身)第7世住職・明誓と逢い法縁が結ばれた。当時長傳は、聖徳沖(現在の長野市妻科・県会議事堂の辺り)に法道場を開いていたが、度重なる水害により移転を決意し、明誓の招きにより寛永17年(1640)正月、現在地(後町−正法寺内)に寺宇を建立した。弘化4年(1847)の善光寺大地震の際に難を蒙ったが、明治34年(1901)に本堂を、昭和7年(1932)に庫裡を改築、また平成16年(2004)10月には長野市平林地区に境内地を取得し、現在に至る。

【歴代住職】(三河時代は含まず)
@長原長傳  C知傳  F傳静  I傳界  L達意
A  明傳    D湛能  G界雄  J海淨  M智照
B  誓傳    E端専  H傳曠  K智輝  N真了
【住 職】
長原真了(俗名:真一)
昭和45年(1970)生まれ 本願寺派布教使 
日常の寺院法務活動の他、寺院・学校・厚生施設等にて布教活動を
展開。
SBC(信越放送)ラジオ「一休さんの何でも質問箱」
(毎週土曜日午後5時50分〜)のパーソナリティー(仏事指南役)を
平成16年4月から平成17年10月まで務める。ひきつづき平成17年11月よりSBCラジオ「一休さんのよもやま話」(毎週月・木 pm1:20〜)で仏事に関する回答者として活動中。
長野青年会議所会員

長原真了住職

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浄土真宗本願寺派 善立寺
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